旧東海道(品川宿)



品川宿は江戸時代の旧東海道における重要な宿場町でした。慶長6年(1601年)に品川湊の近くに設置され、北宿、南宿、新宿の3つのエリアに分かれていました。現在の東京都品川区内に位置し、京急本線の北品川駅から青物横丁駅周辺までの旧東海道沿い一帯に広がっていました。 品川宿は東海道の初宿として特に重要視されており、陸海両路の江戸の玄関口として栄えました。西国へ通じる交通の要所であり、物資や人々の交流が盛んでした。そのため、他の江戸四宿と比較しても旅籠屋の数や大名の参勤交代の通過数が多かったとされています。 また、品川宿周辺には多くの寺院が存在しました。約30の寺院があり、さまざまな宗派がそろっていました。古い時代からの寺院も多く、806年から創建された品川寺や848年の常行寺、990年の来福寺などがあります。さらに、1200年代から1300年代にかけても多くの寺院が建てられました。 品川宿の形成は古く、約1千年前の平安時代から始まっていたと考えられています。南品川の沖合にある天然の良港が見つかり、湊町が形成されました。海路による輸送が主流であり、品川湊は重要な交通拠点となりました。関東地方の発展とともに品川は物流の拠点として栄え、京都や大阪、紀州などから海路で運ばれてくる物資が集積され、陸路を通じて内陸へと運ばれました。 品川宿の範囲は江戸時代末には約2キロメートルに及び、北は八ツ山口から南は青物横丁と鮫洲の境まで広がっていました。現在では歩行新宿と北品川宿を合わせて「北品川宿」と呼ばれ、目黒川を渡って南側が「南品川宿」となっています。これらの地域は歴史的な街並みや寺院が残り、品川宿の歴史を偲ぶことができます。



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2012年8月17日(平成24年)



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