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築地場外市場 2010年12月18日

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築地場外市場

2010年12月18日

築地市場 2008年10月4日

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築地市場

2008年10月4日


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築地市場は、東京都中央区築地に1935年から2018年まで存在した日本を代表する中央卸売市場であり、長きにわたり 「日本の台所」と呼ばれてきました。東京湾に近い立地にあり、銀座など都心の繁華街とも隣接していたため、 他の地方市場と比較しても非常に恵まれた交通条件を持っていました。市場の総面積は約23ヘクタールに及び、 その内部には卸売業者や仲卸業者が集まり、毎日のように活気ある取引が繰り広げられていました。水産物を中心に 扱う市場としては世界的に見ても最大級の規模を誇り、日本全国はもちろん、世界各地から鮮魚や青果物が集まりました。 取引される品目は、水産物で約480種類、青果物で約270種類に及び、特に水産物の取扱量と金額は日本一であり、 建値市場として他市場の価格形成に影響を与える存在でした。 市場の施設は、かつて存在した国鉄東京市場駅と一体的に設計されており、弧を描くような特徴的な建物配置が 見られました。かつては貨物列車が直接市場に乗り入れ、貨車から降ろした鮮魚をすぐに競りにかけることができる 仕組みが整っていました。しかし、高度経済成長期以降に高速道路網の整備が進むと、物流の主役は鉄道からトラックへと 移行し、1987年に鉄道による輸送は終了しました。現在も市場跡地周辺にはその痕跡が残り、かつて線路が通じていた 場所には細い道路や踏切の設備が見られます。 築地市場は、その規模と機能において単なる卸売市場にとどまらず、都市の食文化を支える重要な役割を果たしました。 水産物に限らず青果、鶏卵、漬物、豆腐やもやし、冷凍食品などの加工品も取り扱い、幅広い流通の拠点として存在しました。 取扱数量は2005年の時点で年間約91万6千トン、取引金額は5,600億円を超え、一日の来場者数は約4万2千人に達しました。 市場関係者だけでなく、観光客や見学者も多く訪れ、特に早朝のマグロの競りは国内外から大きな注目を集めました。 築地市場の歴史をさかのぼると、日本橋の魚市場と京橋の青物市場が移転し、昭和10年に開場したことに始まります。 その後、戦後の混乱期を経て昭和30年代から50年代にかけて施設の整備が進み、東京の人口増加とともに市場の役割も 拡大しました。しかし昭和60年代以降になると、施設の老朽化や敷地の狭さが問題となり、再整備計画が検討されました。 当初は現在地での改修も検討されましたが、流通環境の変化や機能維持の観点から移転が決定し、2001年の整備計画により 豊洲地区への移転が正式に決まりました。そして2018年10月6日に築地市場は閉場し、翌11日に豊洲市場が開場しました。 市場の周辺には築地場外市場が広がり、現在も約460店舗が営業を続けています。ここでは鮮魚や青果のほか、精肉や乾物、 調味料、調理器具など多彩な品揃えがあり、業務用の仕入れ客だけでなく一般の消費者や観光客にも親しまれています。 場外市場は早朝から賑わいを見せ、特に午前中は活気あふれる雰囲気が広がります。 築地市場の活動は気象条件とも深く関わっていました。東京湾に面した立地であるため湿度が高く、夏は蒸し暑い環境の中で 鮮魚の鮮度保持が課題となり、氷や冷蔵設備の重要性が増しました。冬は乾燥した冷たい風が吹き込みますが、その分、 魚の鮮度管理が比較的容易で、特に寒い季節は脂の乗った魚が多く集まりました。台風や豪雨などの悪天候時には物流に 遅れが生じることもありましたが、それでも市場はほとんど止まることなく、24時間体制で動き続けてきました。 このように築地市場は、単なる取引の場を超えて日本の食文化と都市生活を支える中枢的な存在でした。閉場から数年が 経った今もなお、その名前と記憶は多くの人々に深く刻まれ、東京の食と流通の歴史を語る上で欠かすことのできない 存在であり続けています。




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