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2009年7月7日の上野恩賜公園は、初夏から盛夏へ向かう季節の変わり目にあり、公園全体が湿り気を帯びた空気に 包まれていました。この日の東京都心の気象は、平均気温26.9度、最高気温31.5度、最低気温23.4度と、真夏日となる 暑さが記録され、湿度も平均72%と高く、薄曇りの空の下で蒸し暑さが続く一日でした。最小湿度は50%で、南からの風が 平均風速4.6メートル毎秒で吹き、湿度を含んだ潮風のような空気が園内を漂わせていました。薄曇りで直射日光が強く 差し込む時間は限られていたものの、気温と湿度の高さによって公園全体は夏特有の重さを感じさせる気象条件となって いました。 この時期の上野恩賜公園で特に注目されるのが、不忍池の蓮の生育状況です。2009年のこの日は、不忍池の一面が濃い 緑の蓮葉で覆われており、水面がほとんど見えないほど繁茂していました。蓮の葉は大きく丸く、互いに重なり合い、 不忍池の景観を夏ならではの姿へと変えていました。ただ、この日の段階では花期の初期にあたり、蓮の葉は多いものの 花はまだ咲いておらず、緑が主役となる光景が広がっていました。蓮の花は通常6月下旬から8月下旬にかけて開花し、 特に7月中旬に見頃を迎えるため、7月7日は葉が最も力強く繁る時期であり、池全体が生命力に満ちた姿を見せていたと いえます。 不忍池は先史時代には武蔵野台地の東端に位置する入江であったと考えられ、上野台と本郷台に挟まれた地形が当時の姿を 今に伝えています。この地形がやがて海岸線から取り残され、池として現在の形を保っています。江戸時代以前の不忍池は 沼地で、藍染川が流れ込み、そこから先は忍川として隅田川へと続いていました。自然の地形と人為的な整備が組み合わさり、 今日の公園景観が形成されています。 不忍池の蓮については、江戸時代にはすでに存在していたことが知られており、延宝5年(1677)に出版された江戸地誌 「江戸雀」に掲載された和歌の中にも、不忍池の蓮が詠まれています。このことから、17世紀後半には蓮が名所として 認識されていたことが確認できます。不忍池の蓮はその後も地域の景観を形作り続け、昭和期を迎えるころにはさらに 有名な名所として広く知られるようになりました。 しかしながら、第二次世界大戦中には不忍池が水田として利用されるという大きな変化がありました。戦後に蓮池を 復元するための取り組みが始まり、池に再び水が引かれ、蓮苗が全国から集められ植え付けが進められました。 こうした努力が実り、現在のように池一面に広がる蓮群落が再生された歴史を持っています。 また、蓮には伝説的な側面も語られており、花が開く際に音がするという言い伝えが存在しています。これは 「蓮の開花音」と呼ばれ、古くから議論されてきましたが、実際に確認された例はなく、その真偽は不明です。ただ、 蓮が早朝に開き、昼過ぎには閉じる特性を持つことはよく知られており、そのため観賞には朝の時間帯が最適とされています。 この日のように薄曇りで湿度の高い気象条件では、葉の蒸散が控えめになり、蓮の葉がよりしっとりとした質感を見せていたと 考えられます。 上野恩賜公園は夏にもさまざまな楽しみ方があり、不忍池周辺は特に人気の高いエリアです。蓮池のほか、「鵜の池」や 「ボート池」と呼ばれる区画もあり、水辺の自然と都市の景観が調和した独特の雰囲気を醸し出しています。ボート池では 手漕ぎボートが利用され、水辺の風景を間近に感じることができます。蓮がまだ咲いていない時期でも、葉の密集した 景観や、水鳥が行き交う様子など、夏ならではの姿に触れることができます。 総じて、2009年7月7日の上野恩賜公園は、夏の訪れを予感させる湿度と気温の中で、不忍池の蓮が力強く繁茂し、緑の 広がりが印象的な一日でした。自然と歴史が交錯する不忍池の景観が、この日も変わらず訪れる人々の目を引きつける 存在であり続けていたといえます。


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