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第30回 東京国際女子マラソン記念大会 2008年11月16日 平成20年 みんなのアルバム

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第30回 2008年11月16日

尾崎好美が1位、加納由理が2位、マーラ・ヤマウチが3位、渋井陽子が4位

第29回 東京国際女子マラソン記念大会 2007年11月18日 平成19年 みんなのアルバム

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第29回 2007年11月18日

北京オリンピック代表選考のレース。野口みずき選手が素晴らしい走りを見せ、 2時間21分37秒のタイムで優勝

第28回 東京国際女子マラソン記念大会(1/5) 2006年11月19日 平成18年 みんなのアルバム

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第28回 2006年11月19日

1/5 土佐礼子選手が、2時間26分15秒のタイムで初優勝

第28回 東京国際女子マラソン(2/5) 2006年11月19日 平成18年 みんなのアルバム

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第28回 2006年11月19日

2/5

第28回 東京国際女子マラソン(3/5) 2006年11月19日 平成18年 みんなのアルバム

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第28回 2006年11月19日

3/5

第28回 東京国際女子マラソン(4/5) 2006年11月19日 平成18年 みんなのアルバム

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第28回 2006年11月19日

4/5

第28回 東京国際女子マラソン(5/5) 2006年11月19日 平成18年 みんなのアルバム

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第28回 2006年11月19日

5/5

第27回 東京国際女子マラソン記念大会 2005年11月20日 平成17年 みんなのアルバム

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第27回 2005年11月20日

高橋尚子選手が2時間24分39秒の素晴らしいタイムで優勝



東京国際女子マラソンは、1979年から2008年まで東京都内で開催された女子限定の国際マラソン大会であり、 女子長距離走の発展史において画期的な役割を果たした競技会です。本大会は、当時の国際陸上競技連盟が公認した 世界初の女性専用マラソンとして創設されました。1970年代当時、女子マラソンは国際的にも発展途上の種目であり、 オリンピック正式種目にも採用されていない状況でした。そのような環境下で誕生した本大会は、女性アスリートが 世界水準で競い合う舞台を制度的に確立した先駆的存在でした。 大会は原則として国立霞ヶ丘競技場を発着点とし、総距離42.195キロメートルの公認コースで実施されました。 コースは都心の幹線道路を縦断する設定で、東京ドーム、皇居周辺、東京タワー、東京駅、品川駅方面などを通過し、 大森海岸交番前で折り返して同ルートを戻る構成でした。平坦基調の区間が多い一方で、35キロメートル以降に 待ち受ける水道橋から四谷方面への上り坂は高低差約30メートルに及び、終盤の疲労が蓄積した局面で選手の持久力と 筋持久力を試す難所として知られていました。この区間は通称「強力坂」とも呼ばれ、レース展開に決定的な影響を 及ぼす地点でした。 本大会は単なる市民レースではなく、日本代表選考の機能を担う戦略的競技会でもありました。オリンピック、 世界選手権、アジア競技大会など主要国際大会の選考対象レースとして位置づけられることが多く、国内有力選手が ピークを合わせて出場しました。その結果、1990年代以降は日本人選手の優勝例が増加し、特に1995年から1999年に かけての5連覇、さらに2005年から2008年までの4連覇は、日本女子マラソン界の競技力向上を象徴する成果でした。 優勝者には英国のジョイス・スミスや日本の佐々木七恵など、各時代を代表する選手が名を連ねています。 運営体制は日本陸上競技連盟、朝日新聞社、テレビ朝日が主催し、東京陸上競技協会が主管しました。協賛企業も 時代ごとに変遷し、資生堂、みずほフィナンシャルグループ、大和証券グループ、NTTドコモなどが大会を支援しました。 こうした企業協賛により、国際競技会としての運営基盤が整備され、安定的な大会継続が可能となりました。 参加区分は招待選手と一般参加選手に分かれ、一般の部では日本陸連登録や一定の公認記録基準が求められるなど、 競技水準維持のための明確な資格要件が設定されていました。 コースは時代背景に応じて変更も行われました。昭和天皇崩御後の皇室関連施設周辺の警備事情や道路整備状況の 変化に伴い、外苑西通り経由から新宿通り・外堀通り経由へと再編されるなど、都市機能との調整が図られました。 1990年の第12回大会では、即位の礼や国立競技場使用制限の影響により、神宮外苑周回路をスタート地点、 神宮球場をゴール地点とする特例措置も実施されました。このように都市環境との相互作用の中で大会は運営されてきました。 しかし、2007年に男子の東京国際マラソンが東京マラソンへ統合された後も女子大会は単独で存続しましたが、 都心部での大規模交通規制の継続が困難と判断され、2008年の第30回大会をもって終了しました。その後は横浜市に 舞台を移し、新たな国際女子マラソンが開催されることとなりました。 総じて東京国際女子マラソンは、女子マラソンの制度的確立、国際競技水準の向上、日本代表選考機能の確立という 三つの側面で重要な役割を果たしました。30年間にわたり東京の都市空間を舞台に展開された本大会は、 日本女子長距離界の発展過程を象徴する存在であり、国際女子マラソン史においても特筆すべき競技会であったのです。


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