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2025年4月28日、神奈川県三浦半島に位置する横須賀の三笠公園では、曇り空のもと、平均気温17.2度、最高気温21.9度と
比較的穏やかな春の一日となった。湿度は77%とやや高めであったが、南南西からの風が平均4.2m/sで吹き、園内を歩く
来訪者にとっては心地よい空気の流れが感じられる気象条件であった。
この日も三笠公園の中央広場には、歴史的記念艦「三笠」が堂々と鎮座していた。「三笠」は、1902年(明治35年)に
イギリスのヴィッカース造船所で建造された戦艦であり、日露戦争において連合艦隊の旗艦として活躍したことで知られる。
特に1905年(明治38年)の日本海海戦では、司令長官・東郷平八郎がこの艦上から指揮を執り、バルチック艦隊を迎え撃つ
歴史的な勝利を収めた。鋼鉄製の船体を有し、排水量は15,140トン、全長132メートル、幅23メートル、速力は18ノットを誇る。
主砲として30cm砲を4門、副砲15cm砲を14門、さらに8cm砲20門と魚雷発射管4門を備え、当時の最新鋭艦としてその名を轟かせた。
「三笠」は1923年(大正12年)に現役を退き、1926年(大正15年)には記念艦として横須賀に保存されることが正式に決定された。
背景には、ワシントン海軍軍縮条約に基づく軍艦の保有制限があったが、日露戦争の勝利に貢献した「三笠」を歴史的遺産として
残そうという国内外の声が高まり、各国の同意を得て保存が実現した経緯がある。その保存にあたっては、関東大震災の影響で
艦底に破孔が生じ、横須賀港外で一時擱座する事態となったが、1925年(大正14年)に満潮を利用して現在の場所に曳航され、
艦首を皇居の方角に向けて固定された。翌年には昭和天皇(当時は摂政宮)臨席のもと、保存記念式典が盛大に行われた。
第二次世界大戦後、「三笠」は連合国軍の指示により武装解除され、マストや艦橋が撤去されたが、復元を求める動きは根強く、
国内外からの募金やアメリカ海軍の協力を得て、1961年(昭和36年)にかつての姿を取り戻した。現在では、世界三大記念艦の
一つに数えられ、現存する鋼鉄製戦艦としては世界最古であり、日本遺産にも認定されている。
三笠公園の園内には、戦艦の内部に入って見学できる展示スペースが設けられており、旧海軍の制服や装備、日露戦争に関する
資料のほか、東郷平八郎の公室や艦長室などが復元されている。特に、東郷元帥が日本海海戦中に5時間立ち続けたとされる
指揮塔には、彼の足跡を示す位置が再現されており、歴史を体感できる貴重な空間となっている。さらに、公園には記念撮影の
定番スポットとして東郷平八郎の銅像が設置されているほか、音楽に合わせて動く噴水や18メートルの高さを誇るモニュメントが
配され、「水と光と音」をテーマにした芸術的な空間演出がなされている。
また、園内には災害時の飲料水供給を想定した蒸気機関車型の貯水槽もあり、常時100トンの水を蓄えることで、市民1万人に
対し1日3リットルの水を3日間供給できる体制が整えられている。三笠の背後には東京湾が広がり、対岸には房総半島を望む
ことができる。特に晴れた日には、猿島や行き交う船舶を眺めながら、海風に包まれた散策を楽しむことができる。
2025年4月28日も、多くの来園者が三笠を背景に写真を撮り、艦内を巡り、歴史と自然が融合するこの場所で穏やかな時間を
過ごしていた。戦艦「三笠」は、単なる軍事遺産ではなく、日本近代史を語るうえで欠かせない文化遺産として、今も多くの人々に
その存在意義を伝え続けている。
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三笠(戦艦)
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